私は離人症について何かを断言することは割と避けている。責任が持てないからだ。
「周囲の人や病院の先生に、すしのさんの漫画を見せて説明してます」というDMやリプをたまに貰う。
私が離人症について偉そうに語ってるのを専門家に読まれているのは恥ずかしい。
これは、すしのがあまり調子に乗ったことを言わないためのありがたい抑止力になっている。
だから私の言うことは「あくまで個人の体験・感想ですよ」というスタンスを取っている。
だが。
離人症は「天才」でも「悟り」でも「スピリチュアル」でもないとはハッキリ言いたいのだ。
離人症は「天才」「悟り」「スピリチュアル」なのか
前々から気になっていた。離人症と検索すると「天才」「悟り」「スピリチュアル」という関連キーワードが出てくる。つまり、これで検索している人が多いのだ。
「天才」は「人離れした能力」と言いたいのだろう。”人”を”離”れてるから「離人」と。
「悟り」「スピリチュアル」も「人知を超える」という意味で「離人」、あるいは「瞑想しすぎでグラウンディングできてない」あたりを言いたいのだろう。知らんけど。
たぶん、単純な誤用と誤解である。それ以上でも以下でもない。
「紛らわしいので混同しないでください」とするほかない。
ひとつ言えることは、どっちかというと離人症は、天才や悟りとは真逆の状態ということだ。
離人の状態というのは頭がごちゃごちゃしている。視界や感覚がフラフラしている。
全然整ってない。静けさがあるようで、ない。混乱状態だ。
頭は働かない。クリアじゃない。
前に離人症の交流会で、当事者ではないメンサ会員の方がいらっしゃったとき、フォロワーさんが「離人症になったらIQ下がりますよ」的なこと言ってたのが未だになんかツボ。的を射ていて。
離人症は客観的なのか
・イメージほど客観的じゃないですよ
前にこんなことを呟いた。
離人症が客観的なのはあくまで物理的視点(自分の体を見下ろしてるとか)の話であって、内面の客観性はむしろボヤボヤ壊滅的になってる人のほうが多いと思うんだけど?
自分のことを他人事のように感じるとかはあると思うけど、それは客観的という言葉が表す冷静さとは対にある気がすんですよね。
離人症は、ある日突然来るすごく主観的な苦しみです。
離人症はたしかにある意味客観的だろう。自分の体や感覚、声や言葉が他人事に思えるという点では。
でも、冷静さという意味の客観性には乏しい。さっき書いたとおり、中身はボヤボヤしてるからだ。
悪い意味では客観的(他人事)だが良い意味では客観的(冷静)ではない。
そこにあるのは、自分のことが客観的になってしまうことの主観的な苦しみだ。
・主観的にもいまいちなれなくね?
でも、さらに踏み込むと主観性(意思、自主性、選択能力)もまぁまぁボロボロだ。全部ボヤ~っとしてるんだから、ハッキリ主観的にも客観的にもなれてない。
で、その「主観的な苦しみ」もうまく浸ったり発散したりできない。感傷的にもいまいちなれない。面倒くさくてすみません。
私は常々、離人症でもハッキリ感じられるのは「違和感」「不快感」の2つだと言っている。
ちなみに、こんなふうに「離人症について考える、意識する」「離人症について調べる、掲示板やコミュニティを見る」ことは離人症の回復を遠ざけるとよく海外の動画やブログ的なやつで言われております。
へーそうなんですか・・・。一理ある~・・・。
まぁ、私は離人症について全然知らなかったときも、知ってから特に調べてなかった時期も、ずっと離人感めっちゃありましたけどねー!
でも「離人症のことを考えずにいられるメンタル」になっていきたいなとは思ってますよ。あとネットも離れたほうがいいね多分。
離人症は楽しいのか
孤独感からたまにツイッターで「離人症」「離人感」と検索する。
すると「離人症なったとき楽しかった」「またなりたい」と言う人たちが思ったより出てくる。
離人症は自己防衛機能なので、ストレスから一時的に離れられたり、フワッとして楽になることもあるだろう。
だから、「楽しい」と振り返る人たちがいるのも不思議ではない。
ただやっぱり、こんなに慢性的になったらきついと思うけどね。
離人症は解離性障害の一種ということになってるが、解離といえば有名なのが解離性同一症。その人格交代はよくドラマで取り上げられる題材だ。
やっぱりドラマなので解離が都合よく描かれる。ストーリーを生み出すためにうまーく解離する。クールでかっこいいキャラになったりする。視聴者の変身願望に刺さるんだと思う。
まぁ、どんなお仕事ドラマや病気ドラマも関係者・当事者からしたらツッコミどころがあると思うが、
もしいつか離人症が何かのコンテンツで「エモ」の題材にされたらとりあえず一回ムカつくと思う。
それで認知が広がる役目もあるから、悪いことばっかじゃないけど。
とりあえず今回は離人症を「天才」「悟り」「スピリチュアル」で調べた人がこの記事を見て「そうでもないかも」と思ってもらえたらいい。そんな回でした。